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Vol. 016   June 2017
Photo レポート






〜私の祖先の物語〜

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実は明治時代から当時の日本人がカナダに移住し、オカナガン地方にもたくさんの日本人が入植していまし た。
左の写真は、その当時の「日本人学校」です。ケロウナ市の北にある「オカナガンセンター」という名前の村に今でも現存しています。
この村は、大正時代に多くの日本人が入植し、りんご園を開墾し、この地域の経済に貢献した歴史があります。
そして、当時の日本人が子弟教育のために建てた学校がこの建物です。外観は当時のままで、外壁が塗り替えられた以外は、すべて昔のままです。
昭和初期の頃には、白人の子弟も一緒に学んだそうで、その当時の写真が今でもこの建物の中に飾られています。

現在、この建物は歴史資料館として保存され、この村の人々のボランティアに支えられて今でも現存しています。
昔の日本人が作った建物を、現代の地元のカナダの人たちが守り抜いているという事実に触れると、なんとも感慨深いものがあります。明治時代にケロウナに移 住した日本人の数は、その後、どんどん増えて行きました。

大正末期〜昭和初期の頃には、約3000人の日本人がこの地で暮らしていました。現在、ケロウナに住む日本人は約1300名ほど(日系カナダ人は除く)で すから、当時の日本人の数がどれほど多かったか?が伺い知れます。

この日本人学校の校庭から建物を眺めた風景が右の写真です。
校庭は全面芝でキレイに管理されています。現在はこの村の公園として住民に愛されながら普通に親しまれています。
写真の右側に写っている茶色の屋根の建物が校舎の真裏になります。そして、写真の左側の小さな建物は3年前まで倉庫でしたが、3年前からカフェになりまし た。
カフェ?といっても、建物自体は倉庫ですから、ほんとに田舎的なのどかなカフェなのですが、これがまた、何とも風情があるんです。

「何でカフェやってんの?」
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って疑問がわきますが、これにはある目的があるので す。この日本人学校の建物を維持、管理、保存するためには維持費が掛かります。つまりお金が掛かるのです。日本ですと、すぐに行政が何らかの予算を付ける のが当たり前になっています。良い悪いは別ですが、日本では最後の最後になったら「行政に面倒みさせれば良いや!」という風潮が強いのではないでしょう か。
一口に予算と言っても、出所は市民の税金ですから、湯水のようにお金が出てくるわけじゃないのですけれども、日本では自分の労力は使わず「行政にやらせれ ば良いじゃん!」というような体質が強いと思います。しかし、カナダという国は行政が予算をつけません。なにしろ税金の遣い道には厳しい国ですから。

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そうなると、この歴史的な日本人学校の建物は、やがて朽ち果てて廃墟になり、消えてなくなってしまいま す。そうさせないために、地元のカナダ人の皆さんがボランティアで管理人をやったり、清掃作業をしているのですが、それだけでは足らないわけです。そこ で、考えられたのが「カフェ」なのです。カフェから生み出される収益金によって、この日本人学校跡を保存しようという取り組みが目的で、このカフェがオー プンしました。

さて、このカフェですが、私がこのカフェの存在を知ったのは2年前のことでした。ケロウナ市から北に延びるハイウェイ97号線を車で運転していた時、手作 りの看板が目に留まりました。
「ミュージアム・カフェ OPEN この道の先・・・」というような貧弱な看板でした。

「ミュージアム・カフェって何だ?」 と思いましたが、ひょっとしてあの日本人学校のことか?とすぐに気がつきました。確かにこの建物はその昔の日本人学 校ですが、現在ではこの村の歴史資料館(つまりミュージアム)ですから、看板が立っていたところから、一番近いミュージアムとなると、あの日本人学校跡し か思いつかなかったからです。
後日、それが正しかったことが分かりました。以前は物置だった小屋の中に、レジカウンターが置かれていました。ただし、カナダは食品衛生法や消防法が日本 以上に厳しい国なので、物置みたいな建物では、飲食店の許可がおりません。きっと、地元の人たちは様々に苦心し行政側と交渉を重ねてたのだろと思います。
なんと、調理場は学校の建物の中に設置しているんで す!(良く考えたなあ、、、と感心)レジカウンターとテーブル、椅子は物置を使ってアレンジし、学校と物置の間の屋外スペースをオープンカフェっぽくアレ ンジしています。これは、まさに究極の再利用です。

正直いって、この村の場所はとても不便なところです。ケロウナから車で30分ほどの距離ですが、その途中 には急勾配があるので、なかなか人を呼び込めない 不便なエリアなのです。しかし、けっこうな人たちがこのカフェで食事を楽しんでいました。この日は、地元の野菜や卵をふんだんに使ったラップというカナダ ではおなじみのランチメニューを食しましたが、しっかりした野菜や卵の味が楽しめ、ボリュームもある割には、価格も手頃です。
近年、カナダでもスターバックスなどのチェーン店がどんどん増え、いわゆる昔ながらの地元のカフェが姿を消しつつあります。

そういう意味では、このミュージアム・カフェは、とても新鮮で貴重ですし、何よりこのカフェが繁盛してくれれば、日本人がその昔に建てた学校が、これから 先の未来に向けて残って行くということになります、、、という訳で、日本からケロウナに来られたお客さんを、いつもこのカフェにご案内して、遅めのランチ または夕方のカフェを楽しんでもらっています。
明治時代からこのケロウナ地域に入植した当時の日本人は、農業に従事していました。大正時代になると、日本人の数は続々と増え、真面目に仕事に打ち込みな がら、未開拓の土地を次々に開墾して行きました。

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当時、この地域で農業の中心産業だったものはリンゴで す。この地域の気候がリンゴの栽培に適している事を 知った日本人たちは、次々にリンゴ園を開いて行ったのです。収穫したリンゴは、カナダ国内やアメリカに出荷されて行きました。当時は、限られた輸送手段し かありませんでしたから、そこで活躍したのが蒸気船でした。この地域で収穫されたリンゴは、丁寧に選別され、箱詰めされた後、目の前のオカナガン湖から輸 送用の蒸気船に乗せられ、現在のケロウナ市のダウンタウンに あったオカナガン地方の中央集荷場へ運ばれて行き、そこから貨物列車に乗せられ、バンクーバーへ運ばれて行ったのです。現在、その当時の貨物列車が走った 線路は、極一部だけが現存していますが、ほとんど使われていません。

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さて、右の写真はこの村のオカナガン湖畔です。
日本人学校跡の目の前に広がるビーチですが、昭和初期までここに船着き場がありました。
その船着き場から、リンゴを輸送する蒸気船が行き交い、人々も生活用の移動手段として日常的にここから発着する蒸気船を利用していました。現在、その当時 の桟橋も無くなり、ご覧のようにのどかな風景が広がるだけになっています。まるで、大昔から何も変わっていないかのような風景が広がっています。しかし、 大正末期から昭和初期の時代、ここには多くの日本人が蒸気船で行き交う賑やかな船着き場だったのです。

今ではすっかり忘れ去られてしまった過去の記憶です。
この地域に多数の日本人が入植した歴史は、すでに100年を越えています。
あの時代の日本人が頑張って開墾したリンゴ園は、その後、ケロウナ市を中心とするオカナガン地方の代表的な農産物として成長しました。その礎を作ったのは 紛れも無い当時の日本人でした。
その後、リンゴ産業は斜陽の時代を迎えます。現在でもオカナガン地方にはリンゴ園が数多く残っていますが、やがてそれらのリンゴ園は、ワイン用ブドウに切 り替えらて行きました。
1980年代になると、ワイン用ブドウの栽培が盛んになり、このころからリンゴ園がワイン用ブドウに置き換えられ、その流れは年々加速して行きました。
私がケロウナに移住した1999年当時、オカナガン地方には大小60のワイナリーがありました。

しかし、現在ではワイナリーの数は200以上に増えています。これは、リンゴ園が次々とワイン用ブドウ畑 に切り替えられた結果です。日本人学校の建物があ る裏手の斜面上には、現在、3つのワイナリーがあります。周辺にはさらに4つのワイナリーがあり、リンゴ園はどんどんブドウ畑に切り替わっています

右の写真は、日本人学校の裏手にあるワイナリーからオカナガン湖を眺めた景色です。真っ青なブドウ畑がなだらかに下った先にオカナガン湖が見渡せます。
世界のワイン産地の中で、最も美しい景色と称されるこの光景は、もともとは100年前の日本人が開墾してくれたからこそ、今の時代、私たちにこれだけの景 観を見せてくれるわけです。
地元でも知られていませんが、、、
そもそも、この地方のワイン産業の基礎を作ったのは、他ならぬ昔の日本人の努力があったからなのです。

あの時代、カナダに多くの日本人が移住していたという歴史は、日本ではほとんど知られていません。ましてや、バンクーバーから内陸に400km離れたオカ ナガン地方に当時の日本人が数多く暮らしていた史実も知られていません。
このオカナガン地方で作られるカナダ産ワインの存在は、残念ながら日本では知られていません。日本に住む現代の日本人が知らないところで、日本人の歴史の 上に育て上げられて来たのが、この地方のワインということになるのです。
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さて、、、
この下の写真は、日本人学校の正面玄関前に植えられた記念樹の下に埋められたモニュメントです。

D.KOBAYASHI

と書かれています。私がこの石碑の存在を知ったのは、2000年の夏ごろでした。前年1999年にカナダに移住し、ケロウナで生活をスタートしてから1年 ほどが経過した頃でした。この地方に明治時代から日本人が入植していた歴史に興味を持った私は、独自に当時の日本人の歴史を調べ始めて、この日本人学校の 存在を知り、そこにあったこの写真の石碑を見つけました。

p009 D.KOBAYASHI というのは、小林伝兵衛という大正時代の人物で、 当時この地域の日本人のリーダーだった方です。さらに小林伝兵衛を調べてみると、現在の長野県上田市の出身だということが分かりました。
「えっ! 長野県の人が大正時代にこの地域に来ていたのか?」 とビックリしました。私も長野県の生まれ育ちですけれど、そんな歴史があったなんて、全く 知りませんでした。
小林伝兵衛は、郷里の長野県からたくさんの同朋をケロウナに呼び寄せていたそうです。
さらに当時の文献を調べて行くと、小林伝兵衛の命を受けて、長野県からカナダへの移住者を募り、長野県からカナダへ渡る日本人を同行案内しながら、当時の 長野県とケロウナを何度も行き来していた水先案内役がいました。


その人物は、O.TAKIZAWA  という人物でした。

「O.TAKIZAWAって誰だ? あれ? 僕とイニシャルが同じだぞ?」
更に調べて行くと、この人物は、長野県埴科郡の滝澤応輔という人物だという事が分かりました。長野県埴科郡の滝澤っ て、どう考えても私の祖先にあたる人物です。このときは背筋が寒くなった事を今でも良く覚えています。
小林伝兵衛をはじめとする当時の日本人のお墓はすでに見つけていましたから、もしかしたら滝澤応輔のお墓もあるかもしれない?と思い、日系人墓地をくまま く探しましたが、見つかりませんでした。

滝澤応輔はどこに消えたんだ???


私は長野の実家に連絡をし、事情を伝えました。私の母から祖母へ、そして親戚中にこの話が広がりました。そして、ついに滝澤応輔の存在が分かったのです。 滝澤応輔は、確かに私の祖先にあたる人物でした。大正時代から昭和初期のころ、滝澤応輔は当時の長野県から、カナダへ移住する人たちを連れて、開通したば かりの鉄道を乗り継ぎ、横浜港から船でバンクーバーへ渡り、陸路を経てケロウナまで連れて来たそうです。
そしてまた日本に戻り、次の日本人移住者を連れてカナダに渡り、また日本に戻るということを繰り返していたそうです。
で、滝澤応輔はどうなったのか?
もしかしたら、ケロウナで生涯を終えたのかもしれないと思いました。もし、そうだったら、彼の家族、子孫がケロウナに残っているかもしれません。血筋をた どれば滝澤応輔から始まる私の親戚が、このケロウナにいるかもしれない! と思って、あちらこちらの高齢の日系カナダ人を尋ね歩きました。
しかし、滝澤応輔の痕跡は全く残っていませんでした。
後日、実家から知らせが届きました。滝澤応輔は数えきれないほど、当時の長野県とケロウナを行き来した後、最後は生まれ故郷に戻り、余生を長野で楽しく暮 らしたということでした。

あの時代、長野県とケロウナを何度も行き来していた自分の先祖が居ようとは、、、、
そう考えてみると、カナダに移住した私が、妙にケロウナという町に吸い寄せられたのは、きっと滝澤応輔が呼んでくれたのだろうと思います。応輔はきっと自 分がやり残したことを100年後の自分の子孫に伝えたかったんだろうと。


私がワインの仕事を続けられるモチベーション

1999年にケロウナに移住した私は、2000年からケロウナ産のオカナガンワインを日本に輸出し販売するビジネスを立ち上げました。
実は2009年から約2年ほど、このワインビジネスを止めていた時期がありました。
考え抜いた末、住居もバンクーバーに移し、私はケロウナとの関係を自ら断ったのでした。
しかし、復活を望むお客さんの多くの声もありまして、再びワインビジネスをスタートし、バンクーバーとケロウナに半分ずつ住むようにしました。
これも自然の流れだったと思うのですが、それは応輔が私をケロウナに呼び戻したんだと思います。
応輔と私は100年という異なる時代に、まったく違う仕事をしていますが、ケロウナと日本を行き来しながら、「たくさんの人々に出会う仕事」という点ではあまりにも共通点が多いのです。

祖母が以前、「きっとお前は応輔の生まれ変わりなんだよ」と言ってくれたことがあります。私もそうじゃないかと思っています。
オカナガン産ワインを日本で販売するビジネスは拡大性がありません。生産規模が小さいためです。
ビジネスだけで見た場合、誰も興味を注ぎません。一時期、私がワインビジネスを止めたのも同じ理由です。

でも今は違います。
私にはオカナガン産ワインをやり続ける動機がはっきりあります。
応輔が私の背中を押してくれる限り、私はこれからもこのワインの仕事を続けていくと思います。

おわり






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